松岡正剛「世界と日本のまちがい」(春秋社)より
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マルクス経済学は、一言でいえば、「資本主義による生産システムや交換システムは人間社会の矛盾を拡大する」という結論に向かっているものです。その社会の矛盾はいくつかの視点で分析されているのですが、そのひとつは「労働疎外」というものです。資本主義のもとでの労働は、それがどのようにしくまれていようとも、人間の意識に「疎外」をもたらすというのです。
疎外というのは理解しにくい概念かもしれませんが、かんたんにいえば「自分でやっていることが自分のものと感じられなくなっていく」ということをあらわします。それゆえ、よく「自己疎外」というふうにつかわれる。
経済学がこのような人間意識の問題をあつかうというのは、今日の近代経済学や金融経済学では斬新なことでしょうが、経済学の歴史からすると、アダム・スミスが「共感」を持ち出して以来、とくにめずらしいわけではありません。むしろ意識の問題を度外視した今日の経済学のほうがいびつでしょう。
マルクス経済学が指摘した矛盾で、もうひとつ大きなことは、資本家と賃金労働者のあいだから、価値というものが歪んでいくということでした。これは「剰余価値説」というふうにもよばれている指摘ですが、どのようなかたちをとっても資本家は儲かるために人々を働かせているわけですから、その行為はあくまで剰余価値(利潤)を手にするためにやっているわけで、そうだとするとそこに働いている者は、そのような価値から、はみだされていくという宿命をもたざるをえないわけです。
こういう資本主義のもとでは、ものを生産するというよろこびのようなものは、本来のものではなくなっていく。自然のなかの土地で米や野菜をつくるまではいいとしても、それを市場を通して売っていこうとするうちに、そこには農作機械の購入や維持、流通コスト、さらには市場での価格競争が加わって、もとの生産のすばらしさなどどんどん歪んでいく。こういうことが資本主義では不可避だというんです。
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